雷火〜肆〜



 
目の前で話す人間の言葉が理解できなかったのは初めてじゃあない。けれど何れも自分の中で予想もしないことを耳にした時だ。まさか。何を。そんな事ばかりが頭を駆け巡って言葉を理解しようとしていないだけなのに。自分自身とは違うものに畏怖して言葉を発する事も出来ずにただ、立ち尽くす。

「は・・働く?」

 やっと出てきた言葉は同じ事を繰り返すだけのもの。こんなにも理解できないものとは思わなかった。冷静になればすぐにも答えられそうなものだが、それほどにこの時の私は切羽詰っていたのだろう。

「そ。働いて返してよ、お金」
「嫌、って言ったら?」

 働ける自信が無かった。否、働いてしまったら死ねる自身が無かった。人に触れてしまったらそこで終わりだと思っていた、が案外平気なものでこれでもまだ死にたいとは思っている。けれど確実に、思い立って家を飛び出した時よりは死にたいなんて思ってもいない。ほら、既に「なんて」とまで言い切ってしまった。此処で働いたりなんかしてしまったら、私の思いは脆く崩れ去る。

「お金・・取りに行く?」

 結局私に残された方法は無いのだ。働こうと、家に帰ろうと私はきっと死を選ばない。家に帰ってしまったところで安心感に心を委ねてしまうから。そしてきっと、死など微塵にも感じず罪の意識に苛まれる日々を送るのだ。
 渋い顔をして黙り続ける私を見かねて彼がひとつ、ため息を吐いた。

「・・我儘。どうにか決めてくれない?餓鬼じゃないんだから」

 ざわり、と身の毛が弥立った。厭きれた様に放たれた言葉に怒りに似たものが込み上げる。けれどこれは怒りじゃなくて。きっとこれは悲しみ。幼い頃によく思い知らされた私の弱さを突きつけられたもの。

「死ななきゃいけないの。あの人の為に、もうこれ以上生きていられない」
「・・・泣かないでよ」

 湧き上がる思いを堪えながら口を開けば流れ出るだろうと思った涙はやはり頬を伝う。冷たく言い放たれた言葉が悲しくて。あの人の事を想って悲しくて。死のうとしているのに本当は死にたくないと思っている自分が悔しくて。溢れる涙が首まで流れる。

「死ぬ死なないは勝手だけど、泣かれるのは苦手なんだ。こちらからお願いする。彼の元で働いてあげて?」

 そういって彼は自分の身体を指した。こんなに謙った言い方を彼から受けたのは初めてだったので少々驚いた。涙も止まってしまったようだ。

「どうして・・あなたが頼むの?」
「彼さ、最近人手不足で困ってるみたいなんだよね。しかも、他人憑きでしょ?余計に負担かけてるみたいで僕も罪の意識感じるし。君を脅す序でに働いてもらおうかな、って」

 まるで自分が悪かったとは思わせない口調で言う。これが彼の本音なのだろう。だけれど私にはどうする事も出来ない。本当に、今更死を選ぶなんて出来ない所まで来てしまった。私は、どうすれば良いのだろう。

「君さ、どうして死のうなんて思うの?」

 困り果てた表情をしていたのだろう。彼が不安がって顔を覗き込んできた。
 答えたくなかった。答えてしまったら、私が死ぬ理由を擦り付けているような気がした。私は私のせいで死ぬのに。けれど言わなければならないような気がした。口が薄くしか開かない。

「・・わ、私には・・私の責任で、死んでしまった人、が、居ます。私だけ、が生きてて良い・・なんて事は無い、でしょう?」

 言葉が上手く紡げない。たどたどしくも音に出来たものは相手に伝わったのだろうか。

「今から、その人の事を真剣に思ってください」
「え・・?」

 目の前に居る人間はたった今まで会話していたヒトではなく先ほど居なくなってしまったヒトだった。人格が入れ替わったのだろう。いきなりのことで頭が上手く回らない。

「いきなりで、ごめんね。君の手を貸してね。今からその人の事だけを考えるんだ、強く」

 そっと手をとられる。強く考えたら泣いてしまいそう。だって彼は私の中に常に強く存在しているから。これ以上強くなんて考えられない。考えたら、立っていることも存在していることすらも出来なくなってしまいそう。人というのは不思議なもので、言われた言葉を無意識的に行動してしまう。考えたくないのに、全てがフラッシュバックして見たもの、感じたものが頭を巡る。崩れてしまいそうなほど不安で、壊れてしまいそうなほど苦しかった。

「・・・どうしてだろう」

 彼の言葉に反応してカタカタと体が震えていたことに気付いた。汗が体中から吹き出て、すぐに焦点が合わなかった。

「会話出来ない・・」
「か・・い、わ?」

 喉がへばりついてしまったみたいだ。水が欲しいと訴えてくる。

「死んでしまった人間なら君の意識を通じて会話できるはずなんだ。けれど、その人はまるで。存在していないみたいなんだ」
「存在、して・・いない・・・?」

 彼は何を言っているのだ。会話?彼は死んでしまったはずだろう?会話などできないだろう。それに『存在していない』とはどういう事なのだろう。

「僕は霊感が強い、というか所謂あちらの世界と通じてしまうんだ。だから相手の意識を通じて会話をしたり憑依したりすることが出来るんだ」

 彼が私の手をそっとおろして、落ち着かせるように両手を添えた。

「霊能力者・・」
「それに近いかな。それで君の意識を通じてその人と会話をしようとしたのだけれど、その人はあちらの世界に存在していないようだ」
「居ない・・?」
「死んでいない、みたいだね」

 あれは全て嘘だった?偽りだった?私の目の前で起きたことが全て偽物だったというのか。まさか。私はこの目で見てきたことさえも信じることが出来ないのか。

「彼は、確かに私の目の前で死んだ!!」
「けれど僕の力に間違いは無いから」

 淡々と当たり前のように彼は言った。わかってる、あなたが嘘を言っていないことぐらい。でも、今まで信じてきたことが嘘だった、だなんてどうして信じられる?先ほどまで身近に感じていた死も何処かへ行ってしまった。何も、何をすることも出来ない。

「・・どうすれば、良いのかわからない・・!!」

 酷く落胆してしまった。もう何も考えることが出来ない。考える気すら起きない。

「君に、こう言うのは失礼かもしれないけれど此処で働いてみませんか?」

 今日、この言葉を耳にするのは何回目だろう。

「此処で働いて君の、見てきたことが真実かどうか確かめてみれば良い。僕は、構わないし寧ろ、とても助かるから」

 どうだろう?とゆるく笑んだ。それは私の心を安心させるように、深く抉り種を植え付けるように。
 もう今更元のように生きようとは思えないし、これから死のうとも思えない。どうする?いっそ、全てを知ってしまうのもいいかもしれない。なんて、思ってしまうのはいけないことだろうか。でも、あなただって勝手に私の中に違うモノを植えつけて消えてしまったじゃないか。お互い様、でしょう?

「・・・私で良ければ、お願いできますか・・?」
「はい、よろしくお願いします」






全て、知り得てみせるから。
私の見てきたものが嘘だなんて言わせない。







NEXTーーー?
←ーーーBACK






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送